良識ある民意は、脱民主党である!

打倒民主! 桜組 副代表 松谷祐子

昨日は、「打倒民主 桜組」の定例街宣と、救う会大阪の署名活動、その後は桜組応援団の某政治家と懇談を持った。
まず、難波高島屋前の定例街宣。
演説テーマは勿論「尖閣事件での菅政権の対応を批判するぞ〜!」である。
多くの通行人が激励してくれた。
以下はその時の声である。
尖閣のことは、民主党があかんという決定打やった。」
「わし等は騙されとったんや。」
「誰か、仙谷をヤッテ(?)ほしいわ。」
「何時、菅から仙谷に総理大臣が変わったんや。」
「早く選挙にならなあかん。あんた等、頑張ってや。」
「これならまだ、自民党のほうがマシやった。」
先の総選挙では、メディア誘導型で民主党に民意が集まったが、現在では民主党の評判はガタ落ちである。
それでもまだ若干、支持の声はある。
「もう少し様子を見てやってもええんと違う?」
そんな超気長な人に対して、私はこう反論した。
「もう少しもう少しと言ってるうちに、景気はどんどん悪くなり、国際的な信用も失くしてしまってからでは遅いのです。貴方は様子見の結果、責任が取れますか?」
民主党は、「政権交代してよかったんだ。」と、国民を納得させたいがための「政治」ばかりを優先するものだから、「愚かなる民意」に振り回され過ぎている。
官僚を頼まねば進まないことでも、「脱官僚」を際立たせるため、内閣の中だけで「無い知恵」を絞っている。
元々、知恵が無いのだから、絞っても何も出ないのが現実である。
ばら撒き政策を進めるために、財源を捻り出さねばならないのだが、そんな便利な算盤は無い。
元々、財源が無いのだから、捻り出そうとしても不可能である。
公務員改革を進めると断言したが、支援母体である自治労と決別する覚悟が無い。
元々、自治労に飼われているような政党である民主党に、公務員改革を断行できるはずがない。
偶々、「政治主導」が実現しても、「国益の損失」や「益々の経済悪化」につながる結果を招き、ここもと国民の間では、政治主導=事態の悪化というイメージが定着しつつある。
事業仕分け」というパフォーマンスも一時は好評だったが、悪乗りの「政策コンテスト案」で、国会議員の価値を低下させてしまった。
国会議員とは、国民有権者から選ばれた者が国家予算を決定(税金の使い道を決める)したり、国民生活の充実を図るための法律をつくるのが、本来の使命である。
税金の使い道を自らの判断で決定できない者には、国会議員たる資格がない。そんな能無し怠慢の議員に支払う報酬こそ、血税の浪費である。
また、法案作成にあたっては、現行憲法に抵触しないかを熟慮する必要があるというのに、憲法そのものを知らない。
知っていたとしても、ただ条文を丸暗記しているだけで、その解釈が著しく間違っているため、国民生活の安定に寄与していない。
自党の無能さが国民に露呈することを恐れるあまり、言い訳や責任転嫁の政権運営になりがちである。
我が桜組から見れば、民主党政権は常に「時局問題」を抱え、突っ込みどころ満載であるが、かと言って、徒にそれを喜ぶような不見識さは持ち合わせてはいない。
次は、救う会大阪の阪急曽根駅での署名活動。
署名してくれた豊中市民からは、以下の声が挙がった。
民主党では解決できないやろ。」
「横田さんらが気の毒。民主党はあかん。」
民主党になってから、進展どころか後退したように感じる。」
「まだ、自民党のときのほうが熱心さを感じた。」
民主党は、何かにつけて知恵が無い。」
ここでもまた、民主党への酷評が多かった。
良識ある民意は、すでに民主党から離れつつあるようだ。
しかしながら、菅内閣の支持率は、まだ4割近くあると言う。
これはメディアの集計操作ではないのだろうかと、疑問を抱いてしまうが、戦後の日教組教育が蔓延している実情を思えば、これもまた、国民の愚劣化を表しているのかも知れない。
この日の最終活動である某政治家との懇談は、非常に勉強にもなり、かつ心温まる時間であった。
政治家悪玉説が蔓延る現在であるが、国家観もあり国民生活に目を注ぐことを怠らない議員が、今でも存在することに安堵する次第である。
こういう政治家は、当に「絶滅危惧種」のような存在であるが、決して絶滅させないぞという気概を持って、今後も桜組は、愛国政治家と連携した活動を展開する所存である。
何事も結果を出すためには、政治の力が必要であると考えるからだ。