民主党の政権運営に思う

2011年07月07日 松谷祐子(三重)

ここ数日、大問題になっていた松本龍の言動の数々。

これは本人に問題があるだけではない。民主党所属議員の大部分が抱える問題であろう。

そもそも、民主党と言う政党は二大政党による「政権交代」を実現させるため、自民党に替わることができ得る、第二の保守政党を目指していたはずである。

ところが、当時流行っていた新党ブームで、多くのアカ議員が彼方此方の小政党に拡散されていた中、それらをも抱き込む形で民主党は結党した。尚且つ小沢率いる「自由党」まで吸収していまい、これでこの政党の党是とも言える「二大政党制による政権交代」は、アカ黒い手垢に塗れてしまったと言える。

民主党の中で、保守を標榜する議員が多数存在するが、そもそも彼等が保守であるはずがない。

労組が掻き集めた票と拠出された金で、選挙をはじめとする政治活動を展開し、外国人参政権夫婦別姓推進の旗をあげている民主党に所属し続けているということは、真正の保守ならばかなりストレスの溜まるところである。

にも拘らず、「こんな政党に居続けることは祖国日本に対する裏切りだ。」とも思わずにいる。禁断の実とも言える「労組の票と金」に自身の良心を縛られ、挙句の果て、そこに我が身を投じて恥じない「開き直り」を始めたのは、当に政権交代の選挙戦からであった。

与党になれば所属議員の端々にまで、大なり小なりの「権力」が行き渡る。

かつて自民党はこれに魅了され、そして権力の虜と成り果て、保守を掲げながら保守の正道を踏み外し続け、終に拭い去れない悪印象を国民に与えてしまったのだ。

権力病初心者の民主党はと言えば、自民党とは比べようもない速度で、更に重篤な症状に陥っている。

なぜ民主党は、かくもだらしないのか?

それはこの国の政を、国民から選ばれた結果、天皇陛下によってお認めいただき、預っていると言う自覚がないからである。

勿論のこと、国会議員は国民による直接選挙で選ばれる。しかし、衆参の両院選挙の施行は天皇陛下の公示で以って行われ、また、国務大臣の認証をはじめとする政治的決定には、すべて陛下の認証が必要である。これは現行憲法7条に定められ、1条に明記されずとも、名実共に天皇陛下が我が国の「国家元首」で在ることは、歴然としている。

国民有権者は、天皇陛下より「自らの代表者を選びなさい。」との御指示で国会議員を選出し、その中から更に選ばれた者が、陛下によって国務大臣として認証され、政に従事するのである。

我が国の政体は「議会制民主主義」などと呼ばれているが、私から見れば「議会制君民主義」というのが正しいと思っている。

陛下より公示を賜って選挙が行われ、国民の投票によって国会議員が選出されるからである。私が必ず選挙に行くのは、陛下の思し召しであるからだ。

この点を民主党は「勘違い」して、当選すれば国民の信を得た者として、何をやっても許されると思い込んでいる。

この国の元首である天皇陛下の御存在を、全く失念しているから、舵取りを誤るというより、羅針盤無き航海をしているのである。最早、無茶苦茶な政権運営であることは明らかだ。民主党が政権を手にしてから約二年になるが、我が国が衰退しつつも現存できているのは、先人達が血と汗と涙で築いてくれた「経済基盤」が、まだ完全消失していないからである。

しかしそれも、今や風前の灯火となり、そろそろタイムリミットが近付いている。

何らかの手を打たねばならない状況であるが、民主党が政権を担っていては、手の打ち様がない。彼等には、連綿と続く国柄が理解できていないからだ。国家に関するすべての事柄に無理解な者が、政治の最高権力者であることが、国民に最大不幸を招いている。

尊王の志篤い政治家は、「議会制君民主義」という国家体制が理解できているので、無闇に権力を私物化しないが、そうでない者はそれを徒に振りかざし、やがて国民に途端の苦しみを与えるものである。丁度、民主党政権のように・・・。