嗚呼!開戦の日の靖国神社

打倒民主! 桜組 副代表 松谷祐子(12-11)
去る12月8日は、かねてからの念願が叶い、靖国神社で昇殿参拝をすることが出来た。
終戦の日とは違って参拝者は少数であったが、この日に参拝する意義を理解している真の愛国者と、開戦の日とも知らず偶然に参拝している人々と共に、御霊に感謝を捧げてきた。
本来なら、この日は政治家のみならず、多くの国民が靖国神社に参拝するべきであろう。
69年前、なぜ我が国は戦争に突入しなければならなかったのか。
私の祖母は「デキモノが膿んで、高熱が出て苦しんでいたところ、突然デキモノが破れ膿が流れ出て、一時的にせよ、熱が下がって楽になったような気分だった。」と、この日を表現していた。それは国民の大半が抱いた偽らざる思いだったのかも知れない。あの当時、一億国民は歓呼の声を挙げ、開戦を支持していたのだろう。
終戦後、我が国は建国以来、初めて他国の支配下に置かれ、新憲法を押し付けれられたうえ、国民教育にまで工作がなされ、国の根幹が骨抜きにされてしまった。
それでも我が国の政治家達は、それらを是正することから目を逸らせ続け、近年では、国政を担う者は押並べて「国賊」と化してしまった。
特に現与党民主党は、戦後日本の原点と言える靖国神社に参拝しないことを、閣僚間で「約束」しあう始末である。
靖国に眠る御霊に感謝を捧げたのち、あらためて「打倒民主党」をお誓い申し上げた次第である。
参拝後は、九段下で街宣、「開戦の日にこそ、御霊に感謝を捧げてほしい、そして、「「後に続く者」」として、これからの日本は何を護って何を変えねばならないのか、真剣に考えてほしい。」と訴えた。
その後、議員会館で数名の保守派議員に「領土問題」と「教育問題」を陳情、夜は文京区で催された国民集会で、三度めの司会を担当した。
この司会がなかなか「曲者」で、常に蓋を開けてみなければ何が起こるか分からない「ミステリー集会」である。
登壇者の変更は当たり前、登壇時間も刻々と変化するわで、進行のお役目を果たすためとは言え、数々の無礼を働かねばならない私にとって「背筋が凍る」ようなハードな務めである。
しかし、皆様の温かいご理解、ご協力のもとでその都度、無事に終了することができるのである。
集会終了後は、いつも妙に空腹を覚え、懇親会ではひたすら「喰う」、「飲む」に没頭するのみである。
帰宅後は「あぁ、あの時はこうすりゃよかったな、あんなに食べなきゃよかったな。。。」と後悔、反省の日々である。
毎年開戦の日に参拝している三重県護国神社には、明日の日曜日に参拝するつもりである。
またここ数年、12月8日には、九条の会が津駅頭で「侵略戦争を反省し、平和憲法を守ろう。」などと街宣をしている。私はこの日、護国神社に参拝後、九条の会の活動現場で連中を質問攻めにあわせてきたが、今年はそれが出来なかったことが残念であった。